安藤 和津エッセイスト コメンテーター

安藤 和津

誰もが予想し得なかったまさかのコロナ禍である。

最初の緊急事態宣言が発令された昨年の47日、私達夫婦は高知に移住している長女の家に居た。夫の新作映画のロケハンでほんの数日の予定で訪れていたのだが、事務所からの指示があり、それから何と2ヶ月以上娘と孫との俄か共同生活をスタートすることとなった。

普段は人通りの多い市内もひっそりと静まり、私も外出は数日おきの食材買い出しのみの生活。日常の最大の楽しみは「食」であった。幸いなことに近場に旬のイタドリ、ふき、よもぎなどが群生している穴場があって、孫と一緒に山菜取りに励み、戦利品を抱え切れない程ゲットした。恥ずかしながら、ふきの筋取りなど何十年ぶりだったろうかイタドリの筋取りは5歳の孫にコツを教わる始末であった。 生のイタドリを刻んでいると、娘が自慢気に見慣れぬ瓶を片手に「お母さん、すごいもの見つけちゃった!」とニンマリ笑った。

それが梶田商店の醤油との出会いだった。

私が「食」の大切さに気付いたのは、長女の卵と乳製品アレルギーが発端だった。それまで確認したことすらなかった食品袋の裏表記、カタカナ、アルファベットの多さに愕然としたのを今でもはっきり覚えている。

余談だが、娘の為の無添加パンは3日でカビるが、大人用のパンは1週間も10日もカビが生えない。最初、自然食品店のパンって足が早い!と思ったが、「あ、カビない方がおかしいんだ」と気付いた。目からウロコの瞬間だった。そしてもう一つ。老舗の味噌店の工場にロケに行った時のこと。清潔な工場内には味噌の香りが漂い、味噌作りの工程の説明も丁寧でさすが!と思っていた時、目に入ったのは大量の「食塩」の袋だった。

今の世の中、残念なことにシンプルな裏表記の食品は数少ない。ということから、わが家は梅干し、佃煮、ジャム、漬け物(糠床は祖母の代からの家宝である)、味噌も手作りだ。昨年は母娘3代で10kgの味噌作りにも挑戦したが、70代の腕と腰は悲鳴をあげた。信頼度100%の「自家製」は気力も体力も必要なのである。

さて、見慣れぬビンの正体は梶田商店の醤油であった。早速小皿に数滴、小指の先にチョンとつけ、舌の上に乗せた。チョコレート色のその一滴は、大豆の香りが豊かで雑味がなく、じんわりと旨味が広がって、思わず私は唸った。「何これ!すごい!」

衝撃の出会いだった。その日刻んだ生イタドリと、この醤油のコラボは3合炊いた御飯がスッカラカンになる程の美味であった。

この醤油は「和」だけでなく、カレー、シチュー、パスタソースと「洋」ものにも数滴足すだけで味にぐっと深みが増す。

また、ヨコメシ会食のあと、お腹がパンパンなのに口さみしい時は、梶田醤油の一滴で舌がホッと満足できる。食の世界融合平和大使である。

ホンモノが少ない今の世の中、正直に真面目にホンモノを作り出すのは、どれ程困難なことだろう。舌は感性のルーツであり、食は生きることの根本だ。この一滴は、未来ある孫達にも正しい味覚を育ててくれるだろう。

私のモットーは奇しくも梶田商店さんと同じ、「生きることは食べること、食べることは生きること」、まさに同志である。

安藤 和津

プロフィール

1948年3月6日、A型、東京都生まれ。

学習院初等科から高等科、上智大学を経て、イギリスへ2年間留学。1979年、俳優/映画監督の奥田瑛二氏と結婚。映画監督の安藤桃子は長女、女優の安藤サクラは次女。

NHKやCNNのキャスターを務めた後、TV・ラジオなど多数の番組に出演。教育問題、食、自身の介護体験などをテーマにした講演会などもおこなう。

文科省、厚労省などの審議会委員も務める。

著書に絵本「月うさぎ」*夫婦共作(あすなろ書房)日本図書館協会選定図書・全国学校図書館協議選定図書、「忙しママの愛情レシピ121」(講談社)、「オムツをはいたママ」(グラフ社)、「“介護後”うつ~「透明な箱」脱出までの13年間~」(光文社)等多数。

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