梶田商店とは私たちは自社醸造を貫徹(かんてつ)する醤油・味噌蔵です
11代 辰次郎はよく「醤油蔵が醤油を作らないで醤油屋と言えるのか?」と口にしていました。
醤油づくりはまず原料である大豆・小麦・塩を選定することから始まり、原料処理・麹造り・諸味の管理を経て、醤油になります。
今現在、原料の仕入れから製造まで醤油づくりにおける全ての工程を全量自社で行う醤油蔵は全国を見てもごく僅かになりました。
梶田商店はそのごく僅かな醤油蔵の一つです。
販売する製品は100%自社醸造しております。
全ての諸味を酵母添加も酵素添加も行わず、天然醸造にて自然と共に醸しております。
今までもこれからも、
大洲の気候風土と共に「より自然に、より美味しい。」を目指して安心安全な醤油・味噌を醸していきます。
100年以上前から受け継がれる杉桶
“100年の杉桶で醸造”
今の時代、醤油でさえもステンレスやホーロー性、塩化ビニール製のタンクで醸造6ヶ月というスピード生産が当たり前のように行われています。
私たちは100年以上も受け継がれてきた杉桶で一年半という長期醸造を行い、掟を守りながら巽醤油を醸しています。
龍神の醤油蔵先祖のスピリットは今なお私たちの中で生き続けています
梶田家のルーツを元祖まで遡ると延法5年(1677年)初代 梶谷市良右衛門の紙屋家から始まります。
その後、多葉屋(たばこ製造)、鍋釜屋、糀屋、醤油屋など商人として代々生業を立てておりました。
明治17年(1884年)醤油醸造を営む8代目 豫三次(よさんじ)が原料として買い求めた塩の中に不思議な龍のミイラを発見。
これを吉兆として(明治23年)敷地内に祠(ほこら)を建て龍神として祀り「辰巳神社」として尊称し今日に至っております。
巽醤油の名はこの龍神に由来し数百年経った今も社の魂と共に古と変わらぬ製法技術を代々守り続けております。
巽の系譜創業から今に至るまで、私たちの歩みをご紹介します
梶田家の系図
明治時代の売り子
明治後半の店前の様子
梶田商店のポスター
ものづくりの系譜で受け継がれるもの。
古より変わることのない伝統的な製造技術はもちろんですが、梶田家の伝統・・・それは「舌」なのだと感じております。
蔵に住む生きた酵母との関わり合いの中で「舌」でしか確かめられない味を私たちは代々受け継ぎ守り続けております。
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元祖1677年(延法5年)
梶谷 市良右衛門
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中興の祖
8代(明治7年)
梶田 豫三次(初代)屋号「加味屋」
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9代(明治38年)
豫三次(二代目)
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10代(大正9年)
豫三次(三代目)
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11代(昭和11年)
辰次郎
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12代(平成2年)
成昭
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13代
泰嗣
沿革
現在の「愛媛県大洲市中村」で醤油醸造を始めたのが8代目梶田豫三次。
大洲市の風土記に創業1874年(明治7年)と記されておりますが、1889年頃に書かれた8代目豫三次の日記には
「代々醤油屋を営む」の一文が残っているため実際にはもっと前より醤油屋を創業していたと考えられます。
- 1874年(明治7年)
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現大洲市中村にて8代 豫三次が醤油醸造業に事業を集約
- 1900年(明治23年)
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辰巳神社記念祭
豫三次が買い付けた塩の中の龍のミイラが見つかり、これを吉兆とし、
辰巳神社を建てる。辰巳神社記念祭を執行。
- 1915年(明治38年)
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梶田家9代 梶田豫三次(二代目)
9代 松太郎が二代目豫三次に襲名。
愛媛鉄道の発起人となり会社設立後は常務取締役に就任。
喜多銀行取締役、喜多郡醤油同業組合長を歴任する。
- 1920年(大正9年1月5日)
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10代 篤太郎が三代目豫三次に襲名。
会社設立 醤油・味噌・食酢製造業として、合名会社梶田商店設立。
- 1936年(昭和11年)
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梶田家の庭にて(左上から3番目 11代 辰次郎)
11代 辰次郎、代表就任。
大洲町議会議員、大洲商工会議所副会頭、
愛媛県醤油味噌協同組合理事長、
大洲食品衛生協会会長、
大洲観光協会会長などを歴任。
- 1990年(平成2年)
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12代 成昭、代表就任。
大洲青年会議所理事長、愛媛県醤油味噌協同合理事監査役などを歴任する。
現在に至る。
- 2012年(平成24年)
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株式会社梶田商店に社名変更